神崎 恵さん「29才でシングルマザーに。人生で戦える武器を身につけたかった」 【Comoロングインタビュー1】

神崎 恵さん「29才でシングルマザーに。人生で戦える武器を身につけたかった」 【Comoロングインタビュー1】

連載 Comoロングインタビュー神崎恵さん

美容界に彗星のごとく現れ、次々と常識をくつがえしてきたスーパーママ・神崎 恵さん。元Comoモデルの彼女が『Como』1万字インタビューで初めて明かす“本当の素顔” ――そこから見えてきたのは、著書からうかがえるようなふわっと愛らしい女性像とは明らかに異なるある種、男性的ともいえる力強くしなやかな生きざまでした。美容家としてのキャリアをスタートさせた『Como』誌面だからこそ語れた、ママとして・美容家としてのストーリーです。


29才でシングルマザーに。人生で戦える「武器」を身につけたかった

――10代のころ芸能活動をし、その後Comoモデルに……と、美容家としてデビューする以前の道のりが、ちょっと異例ですね。

「そうですよね。芸能活動を始めたのは、16才のころに週刊誌『ヤングジャンプ』のコンテストでグランプリになったのがきっかけ。3、4年活動したんですけど正直、つらいことしかなくて。グラビアで水着になるのがイヤとかじゃなく、当時はたとえば胸が大きいとか、その人なりの特別な武器を持っていないと戦っていけない時代。それがないままいくらがんばったところで"何か"を持ってる人にはかなわなかった。それにいわゆる女同士の闘いも熾烈なものがあったり、居心地もよくなくて――。結局、体調をくずして入院療養しなきゃいけなくなったタイミングで、『体力的にもメンタル的にももう限界』と思って、芸能界を辞めたんです」

――最初の結婚は23才。前のだんなさまとの出会いや結婚を決めたきっかけって?

「出会ったのは、まだ芸能界の仕事をしていたとき。そこから2、3年一緒に暮らして、1999年に結婚したんです」

――最初から、結婚は視野に……?

「ぜんぜん!(笑) 私、2度結婚しましたけど、実は結婚したいと思ったことは過去に一度もないんです。でも、だからこそ結婚できたんだろうなって。母が私を一人で育ててくれていた時期があって女性はひとりでも生きていけるというお手本でもあって、だれかに養ってもらおうという意識もなかったし。結婚に夢を抱くこともなかったから、逆にスルッとできちゃったのかなと」

――芸能界を辞めてから結婚までの数年は、どんな生活を?

「税理士の勉強をしたり、いろんな学校に行きました。芸能界では自分に何もないことにストレスを感じていたので、今後の人生をちゃんと戦える武器を身につけたくて」

――税理士って唐突な気がするけど納得(笑)。

「でも、いざ結婚してみるとだんなさんをサポートする側になり、だれかのために生きなきゃいけないんだなと――。最初のころはそれでよかったんですけど、子どもが生まれて"ママ"とか"奥さん"と呼ばれる生活の中で、自分の色があせていくような感覚に、戸惑いを感じるようになっていった」

――それが一般的だとしても、受け入れがたい年齢でもありますよね。

 「それまで主役だったはずの自分自身の人生の中で、初めて脇役になった感じがした――。やりたいこともあったし、『私が私が』という思いもあったんでしょうね。それまでもなんとなくうまく生きてきちゃったんです。さほどじゃけんにされることもなく、何かを言われても強気でスルーしてこれたのも、それがあったからで――。だけど、主婦業や母親業って実際はすごく大変なことなのに、だれにほめてもらえるわけでもない。それが当たり前のことだとしても、いざその立場になってみると受け入れられなかった。受け入れているふり、いい奥さんのふりをしていただけで、本心では『このまま終わっていくのはいや』と思っていて。そんな自分に何かで折り合いをつけたくて、またスクールに通い出すようになった」

――それはどのタイミングで?

「子どもがプレスクールに通い出した2才くらいのときですね。自分の時間も少し持てるようになったことで、その時間がふつふつと思い悩む時間に変わってしまった。それだけじゃなく、他人がすごくキラキラして見えたり、初めてだれかをねたましく感じたり――」

――独身の26才だったら、収入もあって、恋愛も楽しい時期ですもんね。

「女性という生き物として、みんながすごくうらやましくて。幸せな結婚をしたはずだけど、実際は子育てについての考え方もまったく合わず――。私の場合は結婚してから、距離が離れていった感じですね」

――離婚を決めたのは?

「性格的に"だめだからすぐに別れる"というタイプではないので、私なりに何年も考えていろんな手を尽くして、ぎりぎり以上にがんばった上での結果だった。なので、まったく後悔はないですね」

――続けようとしていたんですよね。

「もちろん。私自身、両親はそろっていたほうがいいなと子どもながらに感じたこともあったので、続けようという努力はした。自分が認められたいという欲以上に大事なことだったから、そこを天秤にかけたことはないんです。むしろ、私が自分で生きていこうと思ったのは、離婚を決心した瞬間からで、それまではずっと迷い続けてましたね」

――自立できる自信がなくて、離婚に踏み込めない人もいますよね。神崎さんも社会経験なく結婚されたのでは?

「そうなんですけど、私の中で絶対に大丈夫っていう根拠のない自信があった。離婚しようと思ったのが29才で、年齢的にもまだぎりぎりどうにかなる。死ぬ気になれば女であることを武器にしてでも、何かしら仕事はできるって――。でも、実際に離婚が決まったら、一瞬にして目が覚めたというか、『ここからどうやって生きていく?』っていうシンプルな考え方に切りかわった。それまでは具体的なことを何一つ考えられなかったけど、進む道が決まったことで、そのために何をしていく? という計画を立てられるようになって、気持ち的にはすがすがしいくらいで。もちろん不安もありましたけどとりあえず進むしかない。選ばなければどんな仕事だってできるし、食べていけないということはないなって」

――年齢がもっと上ならまたちょっと違ったかもしれないけれど、子どものためと思えばそうなりますよね。

「女性はそういう強さは持ってると思う。ましてや子どももいて、この子を育てなきゃという想いが一番にあるわけで。ただ折り合いがつかない結婚生活に、自分でどう決着をつけるのか? ってことだったから。正直、自分の気持ちを納得させるまでがいちばんつらかった。私が我慢したら続いていけちゃう話だったので。でも、そこで我慢してると子どもにしわ寄せがいくんですよ。あるとき、ママ友と会っていたら長男が『あ、ママ笑ってる』って言ったの。ハッとしましたよね。私っていつも笑ってないんだって。こんなこと言わせちゃいけない。このままじゃダメだと」

――ある意味、お子さんに背中を押された?

「子どもってホントによく見てる。振り返ると、ことあるごとに私は子どもたちに背中を押してもらってきたなって思います。特に長男は彼なりに外の世界と戦っていたりもするんです。離婚の影響で心ない言葉をぶつけられてケンカになることもあるようで。でも、彼らが間違っていないときは私も全力で戦う。いわば戦友みたいなものかな」

――神崎さんって、何かを決断するときに保険をかけないタイプですよね?

「物心ついたときから、とりあえずの保険みたいなものがあると"かなうものもかなわなくなる"ことを私は知っていた気がする。常にどっちかなんです。そのためにいまだに傷つくことも多いんですけど(笑)。でもそのほうが私に合ってるし、行きたい場所に到着できる。保険がないとそこに行くしかないってわかるじゃないですか。迷うすきを与えないというか、ただ決めちゃえばいい。もちろん、そこにたどり着くまではすっごく迷うんですけど、さんざん悩み尽くしてこれしかないという結論を出したら、もう振り向かない」

――区切るという感じ?

「捨てる――かな(笑)。迷っていても捨てるタイミングって来るんですよね。息子の言葉だったり、ちょっとした合図があるの」

――その潔い断捨離みたいなことが、今の自分の人生に大きく影響している?

「よく何かを捨てないと入ってこないと言うけど、本当にそうだなって。捨てるという覚悟があると、前に進む力も自然とわいてくる。そういう意味でも覚悟って大事だなって思います。私自身『自分で選んだことなんだから自分で責任を持つんだ!』って考えられるようになってからは、すごく楽になったので」

――そこに至ったきっかけって?

「それも離婚ですね。それまではとにかくだれかが何かをしてくれないってことをすごくカウントしていたんですよ。私がこうなったのはあの人のせいだし、こうなったのもそう。私はこんなにがんばっているのに! って。逆に一人になってからは、だれかのせいにはできなくなったけど、そっちのほうがすごくラクだなって気づけたんです。失敗するのも自分のせいなら、落ち込めばいいだけだから」

――相手に求めて返ってこないストレスは、苦しいですよね。人はそう簡単には変わってくれないし。

「むしろ変わらない(笑)。自分で自分の首を絞めるじゃないけど、今思えば、昔の私はいやな女だったなって。前のだんなさんの気持ちが、今になってわかるところもあるんです。 離婚理由はそれ以外のことだったけど、結婚って『そういう考え方もあるよね』っていう柔軟さを持てるかどうかなんだなって――。結婚を続ける努力をしているつもりだったけど、努力は『がんばってる!』ってことじゃなくて、そのときにどうしたら心地よくなれるかとか、イラッとせずにすむかだったり。生活ってそういうことだったんだなと。別れてから、自分の未熟さにも気づけました」

――離婚していちばん大変だったことは?

「生活費ですよね。慰謝料も養育費も判決では決まったけど、結局いっさい払ってもらえなかったので――。それこそ、マクドナルドにも気軽に行けなかった。たとえば子ども2人分のハッピーセットを頼むと千円くらいでしょ。別居後に開いたサロンの収入も、『どうにか食べてはいける』程度だったので、お財布の残金を見るたびに毎日ドキドキで。それこそ歯がボロボロ抜け落ちる夢も見るくらい大変だったけど、あの時期も必要だったと思うんです。16才から仕事をしてきたこともあって、それまでお金に苦労したことがなかったので――。働くということの大変さや、百円、二百円の価値が身にしみた。あのころがなかったら、私はろくでもない大人になってたはず(笑)」

――勤めに出るのではなく、サロンを開こうと思ったのはどうして?

「美容が好きで、美容を仕事にすることは決めていて。2人の子どもがいるなら現実的に9時―5時のパートのほうがいいと母にも言われましたけど、お金に対する不安を抱え続けるような生活を受け入れる前に、もう一回だけ挑戦したかった。そのためには親の協力も必要で『何があっても絶対にやり遂げてみせるから、お願いだからその間少しだけ、子どもたちを見てください!』と、何カ月もかけながら説得して――。そのための学校に通う際も、スクール選びの時点から現実的な収支を計算して、より高い実益が見込める"技術"に的を絞りました。スクールのお金は高かったけど、自分の保険を解約して学費に回して、そこに賭けたんです」

撮影/青柳理都子


この連載について

美容界に彗星のごとく現れ、次々と常識をくつがえしてきたスーパーママ・神崎 恵さん。元Comoモデルの彼女が『Como』1万字インタビューで初めて明かす“本当の素顔” ――そこから見えてきたのは、著書からうかがえるようなふわっと愛らしい女性像とは明らかに異なるある種、男性的ともいえる力強くしなやかな生きざまでした。美容家としてのキャリアをスタートさせた『Como』誌面だからこそ語れた、ママとして・美容家としてのストーリーです。

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出典 :Como2017年夏秋号※情報は掲載時のものです

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